2018年 10月 19日
クリスチャンの救い9 |
ルカの17章で私の心に引っ掛かりを感じたので聖書ではどうなっているのかと
みことばざんまいさんに連絡しました。
丁度その時、Coffee Break, #264(2018年10月15日)でマタイ17章27節をアップしてらっしゃったのです。
みことばざんまいさんが、私のお願いに対して真摯に考察してくださいました。
実に、感謝です。
https://blog.goo.ne.jp/doctor-mk/e/0cfc069639157950f5ae57fcf614eac9
みことばざんまいさんから頂いたことと前回のことも参考にして、思われたことは
赦す事の重大さ、そして赦す事の難しさです。
月日が流れても、完全に癒えることもなく、時折思い出したように、苦しみや苛立ちの様なモノが噴き出ることもあります。
今回頂けたことは、「躓きを与える者」=サタンという事がマタイの箇所から見えてきます。
そしてルカの箇所からは「それをまき散らす者よ」ということばがあってそれは人の可能性も高い
みことばざんまいさんのことばを借りるなら
「今は騙されていて毒を撒いているが、いずれ運命を共有する同志」
という事に該当します。
それを抱えたままだとそれがサタンの足場となって踏み込まれたり、被害にあったり
最後は一緒に引きずられる様に、「永遠の火の中」に投げ込まれると書いてあります。
だからもし赦せない(赦しきれない)ならマタイでは、それを切り捨ててしまえと、続いています。
物なら捨てることも出来るでしょうが、自分の思いの内側にあるものですので
実際にそうするのは難しい、いや出来ないと思わされます。
聖書を広く読ませて頂くとき、その施術をするのは、私ではなく聖霊であることがわかります。
聖霊はみことばを用いて、たましいと霊を切り分け、深いところまで癒着した良くない所さえも完全に取り除くことが出来ます。
私のすることは、委ねてイエスの血で覆って頂き、自分で弄らないということ
瘡蓋を剥がす様な事を繰り返さないで、委ねて平安に過ごす
すると、主の与えてくださる霊的治癒機能で綺麗に新しい肌で覆われるのです。
II列王記5章のナアマンの様に長い間重い皮膚病であった所も神のことばに委ねた結果
「すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。」
by dennkiya2
| 2018-10-19 18:21
| 日々の糧